17 April '2004 - 02:12 | 雑記 KILL BILL VOL. 2
混んでるのが鬱陶しいんで、封切りの日に映画を観ることは滅多にないんだけれど、今日は観に行ってみた。KILL BILL VOL. 2。 案の定の満員で、座るところを見つけるだけでも一苦労。公開の日に内容についてあれこれ書くのもどうかと思うので書かないが、期待通りかなり楽しめた。早く DVD 出ないかな。しっかし、ほんと、Uma はいいねぇ。マジ惚れる。
話は変わるが、映画を見に行っていつも思うのは、エンドロールを最後まで見るやつが必ずいるということ。なんで観てるのか聞いてみたくなる。だって、観ないのがふつーといえばふつーじゃん、アメリカでは。
ま、当然ながら、おれはどんな映画でも必ずエンドロールを最後まで観るけどね。もしかしたらおまけがあるかも知れないし、Special Thanks とかを確認するのも重要だし、余韻に浸るという意味もある。というか、やはり、エンドロールも作品の一部だと思っている。そこに何らかのメッセージがこめられていることだってある。
今日は、満員の客のうち1割くらいが最後まで残っていたが、おれの前の列に、さっさと立って帰ろうとしたらまだなんかやってるってんで、いつまでも立って見てるバカがいたのが痛かった。
そのうち動くだろうと思ってずっとほっといたが、いつまでたっても動こうとしないんで、仕方なく言った。
「悪いんだけど、観てるんなら座ってくんないかな?」「え?あ、すみません」
言わないと分からないのは仕方ないって諦めてはいるが、もしかしたら今この瞬間に、自分が迷惑を掛けている人がいるかも知れないという視点は、自然には持ち得ないものなんだろうなぁ、とつくづく思う。
迷惑を掛けられる立場としては、アメリカ人的寛容さと大らかさを持ち、迷惑を掛けるかもしれない立場としては、日本人的繊細さと配慮の心を持つ。これ最強。
どっちの国の人たちも極端だし、どっちも嫌いだし好きだけれど、両方を足すと凄くいいと思う。
でも、どっちかというと、アメリカ人的日本人よりも日本人的アメリカ人の方が良さげに思えるのは気のせいか。