ぼんやりと考えている人

ひろしまなおき (廣島直己)
名前: ひろしまなおき (廣島直己)
住処: シリコンバレー
職業: しがないプログラマ
家族: 愛妻一人、息子一人、娘一人
道具: ハーレー二台、ギター三本
電紙: n at h7a.org

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27 July '2006 - 00:17 | 雑記 理屈じゃないという理屈

そのタイトルからして、読むのは明らかに時間と金の無駄だと思って無視していたら、なんでも二百万部のベストセラーとかになってるらしい「国家の品格」という新書。

だいぶ前にあちこちのブログで賞賛されたりコテンパンにされてたりしてて、書評や引用から何が書いてあるかはだいたい分かってるから、わざわざ読んでないし、興味もない。

どうしようもないほどくだらないその言説で溜飲を下げている人たちがかなりたくさんいそうという事実自体は、それなりに考えてみる意味があるし、ちょっと興味はあるのだけれど、まあ、馬鹿馬鹿しいのでスルーしていた。

で、すっかりその存在を忘れていたのだが、 先日から、東京に住むガイジンのブログ neomarxisme で取り上げられてるのを見て思い出した。ああ、こんな下品な本が二百万部も売れてるなんて、なんて言い訳していいか分からんなあ。まあ、言い訳するまでもなく、事実、日本人は「理屈じゃねーんだ、屁理屈いうな!」って言うのは大好きだし、いや、好きかどうか分からんけれど、学校の先生ってほぼ全員がそう言うわけだし、しゃーないか。ま、さんざんバカにしてくれ給え。

なんて思ってたら、今度は Tech Mom がこの本のことを書いてるのを見つけて、ちょっとビックリした。もう、かなり古い話題かと思ってたけれど、在留邦人的にはそうでもないのかも知れない。

まあ、言及しているブログ以外は読んでないんで、別に言うこともないんだけれど、 二つだけ。

まず、「幼少期からの英語教育」への批判について。

確かにそんなに早くから英語を教える必要はまったくないと思う。中学からでも、まったく問題ない。英単語を利用した暗号科目として教えている現在の英語教育を、英語というコミュニケーションスキルとして教えるようにすれば、中学でもまったく遅くない。本当に次代の日本人が英語をそれなりに使えるように仕立てたいのなら、時期を早めるのではなく、単に教え方を変えれば済むだけの話。

でも、早くから英語を教えたからと言って「美しい日本語」能力が失われるとはまったく思わない。そういう能力は読書をたくさんする以外に身に着ける方法はないし、大人が読む本をちゃんと読めるようになるのは、早熟な人でも中学生以降だろうし、多くの人は高校や大学生くらいだと思う。精神的に成熟してこないと鍛えることができない。英語を一年生から教えてたら、精神的に成熟しないなんてことはない。人間は、体が大人になるに従い、心もちゃんと成熟していく。ただ、準備ができたところで読書をちゃんとしないと、小さい実のまま完熟になってしまうってだけ。

だいたい、バイリンガルにする必要はまったくないし、そんなことを目指してるわけじゃないと思う。言葉なんて基本を脳が自動的に覚えればいいだけのことだから、脳がそういう能力を十分に持ってるうちにチャンスを与えようってだけのことだろう。小額一年生の授業の半分を英語だけでやるとか、そういう話なら別だけれど。

まあ、問題の立て方と解決の方法というものが、そもそもまったくデタラメで、「子供のうちからやればバイリン!」みたいに短絡してるだけにも見えるので、そういう意味では、反対に賛成だけれど。

ていうか、どうせ外国語を一年生からやるなら、韓国語をやるといいと思う。文法もよく似てるし、日本人には一番簡単なガイコクだし、六年もやればみんなペラペラになると思う。まあ、国際的には、英語みたいには役には立たないけれど、どうせ英語だってほとんどの人にはまったく役に立ってないんだから、大して違わない。外国語が自由に使えるという経験ができたら、それはそれでかなり有意義なことだと思う。それが英語である必要は必ずしもない。もちろん、中学からは英語ですけどね。いや、実際、英語できないとどうしようもないんで(笑)

次。二点目は、理屈で説明できないこともあるという言説について。

自分が何を考えてるのかさっぱり分からない人には便利な言い方なのかも知れない。この言い草の基本的な意味は「ぼくはバカなんです」だが、これを「おまえがバカなんです」に変えるための便利な方法が、「権威」付けだ。だから、「国家の品格」の著者は、権威が大事だと主張するわけだ。自分には権威がある、だから、私がいう「理屈じゃない」は、わからないオマエが理屈ぬきにバカ、という意味に早変わりするわけだ。なんと卑怯で低脳な理屈だろうかと思う。

はっきり言って、世の中には理屈で説明できないことなんて滅多にない。何ゆえそれが感動的なのかすらも、ある程度は理屈で説明がつけられる。もちろん、全てを言葉にしてしまうのは興ざめということもあるけれど、それは別の話。

実は、日本の若者が閉塞感を味わっているとしたら、それは理屈をぜんぜん重んじない社会にこそ問題があると思う。なぜそうなのか、理屈じゃなく情緒で決めてきた、もしくは決めてこなかったから、新参者の若者にはそれを無条件に受け入れるという選択肢しかない。それが受け入れらなかったら、社会が受け入れてくれない。理屈じゃないので改善することすらできない。

理屈というのは、公平さを担保するために絶対に必要なのだ。論理が常に正しい答えを出すとは限らないし、その論理の正当性を保証するものはその論理自身では担保できないけれど、それでも全てをすっ飛ばしていいわけではない。ぜんぶ、ちゃんと言葉で説明する。最終的には好みの問題になる部分もたくさんあるだろうが、基本的に理屈が通っていれば、自分と違う好みも受け入れることもできる。ぜんぶ好みの問題だったら、改善する方法がまったくない。改善する見込みがないことに未来を見出すことはできない。

まあ、結局、こういう理屈を受け入れたくない、聞きたくもないという、うちの息子とあまり変わらない程度の未成熟な精神を正当化するためには、「権威者である私が保証します。世の中、理屈ではありません。」って言って話を打ち切るのが一番簡単なんだろうとは思う。

著者は、きっとアメリカ人に、「何故か」と聞かれてちゃんと説明できずに悔しい思いをたくさんしたのだろうな。

おれも英語力と考え自体の未熟さゆえに散々悔しい思いをさせられてきたけれど、自分の理屈をちゃんと説明する責任があるというのは、公平でいいルールだと思うし、原則だと思う。

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はろー。国家の品格、そんな大変な本なんだ。(笑)

ある意味、なぜ雅子様が病気になったかわかるよね。日本は、美しい国で、人の心も美しいと思います。でもなんか閉塞てきなところがあって、大変だよねぇ。うちの子もきみんちの子も帰ったら、浮きまくりそうだな。
ていうか、子供の前に、よーこさんがものすごく浮いてるわけだけれどね。日本でもアメリカでも。たぶん中国でも(笑)
なんか、著者の主張を誤解しているような気がするよ。「論理が不要なんて」一言もいってなくて、「論理は重要。超重要。それを身につけた上で情緒も身につけているべきだ」と理解したよ、俺は。ブログでの評判とかは一切みてないけど、論理性の重要さが全然わかってない多くの日本人には「論理よりも情緒」みたい受け取れるのかねぇ。

  
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