08 February '2007 - 14:17 | 日米対決 捨てない社会と捨てる社会
今日は、二月八日。ぼくが生きている現代という時代において、とくに重要な日にちのひとつとしてぼくに記憶されている日。つまりぼくの誕生日だ。なんども言っているように、にしがはち、と覚える。
で、それはぜんぜん関係ない。お題は「著者・Vince Flynn - 「Jack Bauer」 では無く「Mitch Rapp」と名乗る硬派」の結語。
なんだろう? アメリカって「嘘くせー位さわやか」で日本は「ありえないほどどろどろ」というのはいいすぎ?
まったくそのとおりなのだけれど、これにはちゃんと理由がある。
日本では、ものごとを白黒はっきりできると思ってるのは子供(もしくは馬鹿)であって、世の中はそんなに単純じゃないと分かっているのが大人。子供たちは、思い通りにならないことや理不尽なことを不可抗力で受け入れさせれ続け、社会が単純じゃないことを体験し大人になって行く。大人のくせになんでも単純に割り切れると思ってるやつは、馬鹿だと思われる。
一方、米国では、決断ができないのは子供(もしくは馬鹿)であって、何事にも責任をもって YES/NO の判断できる、そしてするのが大人。子供たちは、決めたくなくてもとにかく決める訓練をさせられる。難しいことを決断するために問題を二者択一に矮小化する訓練をさせられる。大人になっても、YES/NO に分類できない、決断できないやつは、馬鹿だと思われる。
日本は進むよりも捨てないことを選ぶ社会で、米国は進むためには捨てる社会といえる。捨てないことでありえないほど細部にまで神経が行き届く日本と、積極的に捨てていくことでそこに残るであろう普遍の価値を追求して行く米国。
ぼくには、どうみても両方とも正しいとしか思えないが、やはりここでも「適用範囲」というものを両者ともに逸脱しているように思える。
なんでも白黒つくと考えるのも間違いだけれど、だからといって何にも白黒つけない態度が正しいはずはない。世の中、公正に考えれば白黒つくことはものすごく多い。傷つく人がいるからといって白黒をつけないのは、ローカルにはよくてもグローバルには弊害が大きいし、社会全体の停滞は悪循環する。
また、選択肢を狭めて個々の決断していくことは全体を先に進めていくのに有効な手段だけれど、進めない方がいいことも世の中にはたくさんある。世の中には白黒以外がある。単純に善と悪に分類してしまっては衝突が絶えないし、グローバルには戦争ということになってしまう。
ちなみに、アメリカが絶え間なく戦争をしているのは、宗教的、経済的に必要だからという一部の理由もあるのだろうが、それを後押ししているのは国民であって、やはり、ものごとを何でも二極化してみるように訓練されていることの弊害だと思う。戦争をブッシュのせいにしている人は、クリントンも戦争をしていたことを忘れてはいけない。アメリカはいつも戦争をしている。問題はブッシュとかネオコンではなく、アメリカ自体が問題なのだということを忘れては行けない。
なんてことを弁当を食いながら書いてみた誕生日。
go55man () (ウェブサイト) - 08 February '2007 - 20:47
つかね。おっさんの人生が始まって以来、ずっとおっさんとは最大で一歳しか年齢差がありません。今後も死ぬまで変わらないでしょう。人の方を何年も先に不惑にしたければ、亜光速で宇宙旅行とかして待っててください。まあ、そうなったらぼくも亜光速で追いかけますけどね。
ひろしま - 08 February '2007 - 22:56
よーこ - 09 February '2007 - 17:22
自分は外資系にずっと勤めているためか、米国的な考えをするくせがついているような気がする。もしくはそのような進め方が求められていることは少なくとも理解している。たまにいるんだけど、外資系にいながら日本的な発想に執着してしまって、さらにそれこそが本来のあるべき姿だって必死に戦っちゃう人。それぞれ良い点、悪い点があるのは理解しないといかんと思うんだが。
及川 (ウェブサイト) - 09 February '2007 - 18:23
ひろしま - 09 February '2007 - 22:00
そういえば、最近なんか不思議と思っていたら、一人称が変わっていた。って今頃気づくのは遅いですか?
MSY - 11 February '2007 - 00:12
ひろしま - 11 February '2007 - 10:45
Yone - 26 February '2007 - 19:50