思い通りの日本語入力ができるという触れ込みの IME が Google Japan からリリースされたので、久しぶりに書かま文で書いてみる。かかまブンナの。いや、かかま文だよ。でた。わ
気がついたら11月は何も書いてないのだけれど、これはこの新しい日本語変換が出たら書かま文で書きたいと思っていたのでそれを待っていたら、12月になってしまっていたということで、これは弊社に謝罪と賠償を要求せねばなるまい。って、あえて長い文章を書いて、一発変換。素晴らしい。
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けさ、ついつい、むだに twitter で @kenn と かいわを してしまったのだけれど、じつは この いちれんの かいわは、ぼくは とちゅうから ある いとを もって せっきょくてきに たのしんでいた。
それは なにかというと、140もじ という せいげんで、ひらがなと かかまぶんでの ぎろんは どう なるのかな、ということ。あいては かんじを たくさん つかって むずかしい ことを いってる ふりを して みんなを けむに まこうと しているけれど、こくみんの せいかつが だいいちの ぼくは、もちろん twitter でも ひらがなしか つかわないので、かいわが なりたつのだろうか、って おもったのです。ひらがなせいかつと かかまぶんでは 140もじで かくことが できる じょうほうりょうには かなり さが あるからね。
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takusan'no hitoni yondemorau nara somosomo hiragana gakusyuuga huyouni naru RO-MAji hyouki no houga iinodeha naika. RO-MAjiseikatu ni sinai riyuu ha nanika.
ii situmonn dane.wa
jituha bokuha RO-MAji demo zenzen iito omottemasu.wa
20nen kurai maeni RO-MAji sika tukaenai joukyoude GAIJIN ya zaigaihoujin tati to yoku tyatto siteita jikiga arunda keredo, saisyoha turakatta noni koremo naretara zenzen dekite bikkuri sita keikenga arimasu. seisintekina kabe ga nakereba koremo kekkou yoyuu de suguni naremasu.
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ひらがな だけの ぶんしょうは、よみにくすぎて たまらない。さいきん、よく いわれる。
ひらがなせいかつ を はじめてから だいぶ たっていて かなり めが なれたし、しんりてきな ていこうも まったく なくなった ぼく
ですら、よみやすさの ひかくをすれば、あっとうてきに かなかんじまじりぶん (いか、よくつかうのに ながくて よみにくいので、かかまぶん と よぶことにします。わわ) の ほうが よみやすいと かんじるのだから、さいしょから うけいれる
きが まったくない ひとたちが、そう いいたくなる きもちは 120% りかいできる。
すこし あたまの おかしい ぼくだけが こういう はためいわくな ことを かってに やるのなら まだしも、なにか しんえんな いとがあるに ちがいないと
かんちがいした おひとよしたちが こんなくだらないことを まねしはじめては たまらないと、ないしん やきもきしている ひとも いるかも
しれない。
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さき の 「ひらがなせいかつ への いざない」 に たいする しゅんぺーさん の コメント で、
あなたの文章は非常に簡潔に平易に書かれておりますので、ひらがなで読むことはさほど難しくありません
と かかれている ことは とても うれしい。
ぼく が ここ に かいている ぶんしょう は、すべて ぼく が かんがえている ていど の ないよう なので、そもそも むずかしい こと ではないし、その いけん を せいかく に つたえる ためには、とくに むずかしい たんご を ひつよう と してない というのは じじつ なの だけれど、それでも、ぼくは ちゅうい して たんご を えらんで かいている。
つまり、なんどか よみなおして、なるべく かんたん な ぶん に なるよう に かき なおしている。どうおんいぎご が まぎれて いない か ちゅうい しているし、かんじ を みないと ぼくじしん よく いみ が わからない たんご は すべて かき なおしている。まあ、スイコウ くらい は かいても いい けれど、あえて かかないように している。
つまり、みなれていない から すごく よみにくい という のは たしかに そう だけれど(わ)、がんばって よんでみても よく わからない、というような ことには ならないよう、けっこう きを つけています。
じつは「ひらがなせいかつ」には、ぶんしょう を もっと たんじゅん に かくべき ではないか、という いと も あります。
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ひとつまえ の エントリ では、なにゆえ ひらがなせいかつ を すすめているのか わからない、と なんにん かの ゆうじん や ちじん から いわれた けれど、かいてない ので それは とうぜん。ながくなる から、また あとで かく、と かいた。かいたけど、なかなか かけず に ごめんなさい。
じつは、ぼくの なかでも けつろん が かんぜん に でている という わけでは ないし、また、すぐに でる とも おもえない ので、いまも、なぜ そんな ことを するのかと、じもんじとう しつづけて いたりします、はい。わ。
かんじ を すてる ことの へいがい は、ぼくでも いろいろ と おもいつくし、かんじ を すてる ことは まちがっている と ちょっかん する ひと や、せきずいはんしゃ てきに はんろん する ひとは、その あたり は とくに いろいろ と おもいつく のだろう。まあ、ぼくが おもいつく レベル の もんだいてん は、あとで はんろん を かいて いこう と おもうけれど、そうてい される はんたい いけん への はんろん の まえに、まず、ひらがなせいかつ の ぼくなりの motive を すこし ずつ かいて いきます。
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いちぶの ゆうじんたちは よくしっていると おもうけれど、ここのところ、ぼくは かんじを いっさい つかわずに せいかつする という じっけんを してみている。
で、やってみたら、おもっていた よりも やれそうな きが してきて だいぶ じしんが ついたので、とうとう ここに せんげん することに します。
「ひらがなせいかつ」を すいしんする (もしくは うざいことするなあ、しねばいいのに、なんてことを いちいち おもわないと きがすまない ひとたちの きもちを さかなで することなど、そもそも いっさい いに かいさずに、ほろびゆく ちほう げんごである にほんごの、せんねんごを ほんきで うれう、もしくは うれう ふりをする) ぷろぐらむに さんか しませんか。
かけも よめも しない かんじ なんて、がくしゃに まかせて、こどもたちでも かんたんに よめる ひらがなで、もっと わかりやすく かくように しませんか。
この うんどうに さんかしたい ひとは、どうぞ かってに さんか してください。ばかだと おもうひとは、ばとうするなり むしするなり、おすきに どうぞ。
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