05 September '2005 - 22:08 | 時事 他人事じゃなくなったカトリーナ
テレビのニュースで見たら、思いのほか酷くてビックリしたニューオーリンズの惨状。 一応、念のために、ルイジアナ出身の友達に連絡した。おまえの家族は大丈夫なのか、と。うちは北側なんでぜんぜん大丈夫だったけれど、相方の実家は市内だったから完全にダメになって、今、うちの実家に避難している。家も仕事も失って途方に暮れて打ちひしがれてる。これから実家に行くところ。
うーむ。悪い予感的中。連絡してよかった。というわけで、他人事が一瞬で他人事じゃなくなった。赤十字に寄付しようかと思ってたけれど、こうなったら彼に直接寄付しよう。
人間、自分から物理的に遠いこと、心理的に遠いことというのは、それほど共感を持たないようにできている。そうでないと生きていけない。アフリカで餓死し ている子供のことを考えて、本気で胸を痛めていたら、贅沢に旨いもんなんて食ってられない。世の中には本気で胸を痛める人も時々いるのだろうけれど。
911 の時、おれは本当に心が砕かれる思いがしたが、同僚のほとんどは対岸の火事を見ているようだった。東海岸出身の同僚が誰だかすぐに分かるほど、雰囲気がはっきりしていた。
昨年の新潟の被災の時、そこに知り合いは一人も居ないはずなのだが、日本のことなので、心が痛んだ。
でも、スマトラの津波やイラクのことは、確かに悲しいのは悲しいが、心が砕かれるほどには来ない。おれには直接的にはまったく関係がないのだから、仕方ない。
カトリーナもそんな感じで、うーむ、と思ってみていたのだが、友人の家族が家を失って避難生活をしている当事者だと知って、一瞬で事情が変わった。心がかなり痛む。新潟の被災の時よりも、心が悲鳴を上げている。
もちろん、現実を知識として理解しておくことが大事なのは言うまでもないが、だからどうだと言うこともない。どうせ、たいしたことはで きないし、やれても、実際には何もしないのだから、考えてるなんて偉そうに言っても仕方ない。餓死している子供たちが可哀想だと言っても、だったら毎日一 食にして、残った少しのお金を寄付したりするのかといえば、絶対にそんなことはしない。だから、彼らを可哀想だと言って、善人ぶってお茶を濁すのではな く、自分は無力なのだと正直に認めて、諦めて、自分の幸運に感謝して生きるしかない。
今日、おれも、たまたまそんなこと思ったところで、こんなん読んだから、書き込んじゃったよ。
思うだけの自分は、しょぼいなって・・・
動けないなら、感謝します!はい!
まこと - 07 September '2005 - 08:55
自分も家族も最高に楽しい上に、新潟で苦労してる人たちの助けにもなるんだから、こんな一石二鳥すぎる仕事はないぞ。
ひろしま () - 08 September '2005 - 22:58