12 February '2005 - 03:02 | 日米対決 株価が下がっているのはどうしてか
二十世紀の終わりごろにアメリカで生活を始めた時、地図サイトの存在とその便利さに言葉を失った。どこかに行く時、そこへの行きかたではなく住所を正確に聞きさえすれば、あとは地図サイトで検索して印刷すればいいのだから、当時はその便利さ、先進さに心の底から感動し、打ち負かされた思いがした。 というわけで、Google Maps をさっそく試してみたが、初めて Google を使った時のことを思い出した。20世紀後半のあの頃は、検索サイトといえば altavista がデフォルトだったころで、とくに何も期待もせずに試してみたその瞬間からデフォルトが Google になった、あの衝撃が再現されたのだ。昨日まで地図サイトは Yahoo! Maps だったのに、今日のその瞬間から Google Maps がデフォルトになってしまったのだ。いや、恐れ入りました、まじで。
ネット上には MSN Maps で十分とか寝言を書いている輩もいたが、使わないやつには分からないのだろう。こことかここでは控えめに書かれているが、アメリカに住んでいて日常的に地図サイトを使っている人からすれば、これははっきりいってレベルが違いすぎると言っていいだろう。
実際の住所、たとえば 36 Strawberry Hill Ave, Norwalk, CT の検索結果を比較すると実によく分かる。Yahoo Maps で検索した結果、MapQuest で検索した結果、MSN Maps で検索した結果、そして Google Maps で検索した結果。
周辺のレストラン検索がどうとかそういうことはどうでもいい。たとえば Yahoo Maps で Japanese Restaurant を検索しても Norwalk ダウンタウンの Kazu が出てこないってのはどうよ、とかそんなことはどうでもいい。そんなことのために地図サイトを使うことなんて、現状ではほとんどない。あればあったで面白いが、基本はそうじゃない。
ポイントは、ある住所に行くために必要な絵を印刷するための手間、これだけである。
地図の絵がダントツに綺麗で、本物の地図を見ているみたいに見やすいとか、細かい部分でもいろいろと差はあるが、Google Maps が他のサイトと比べて本当に素晴らしすぎるポイントは 1) 住所を一行で入力できること、2) ブラウザウィンドウの大きさを変えることで自由に地図の大きさを変更できること、そして 3) 目的地を地図範囲のどの位置にも移動できること、この三つだ。
他のサイトでは、住所を入れる際、通り番地と市と州を入れるために三回もコピペする必要があるが、Google では住所を一回コピペするだけでいい。三倍も簡単。
地図の大きさがウィンドウサイズによって可変で嬉しいのは、その目的地の近辺のどの程度の範囲を見渡せれば何とかなりそうかを簡単に把握できるからだ。たいていは、最寄の高速道路と Exit などから目的地までの感じがつかめる必要があるわけだが、縮尺を維持したまま地図が大きくできるというのは素晴らしい。他のサイトでは、印刷モードにすることで若干は広くできるが、その状態で地図範囲や縮尺を変更できないので、印刷モードと通常モードを行ったり来たりすることになる。
そして、目的地への道程はある方向からそこに向かうわけだから、その目的地よりも遠方側の詳細は基本的に不要であって、目的地を地図の端に動かして印刷できれば、必要とする範囲のより多くの範囲が印刷可能となる。どのサイトでも地図の範囲をある程度は移動できるが、Google だけがその範囲を完全に自由に調整できる。マウス、キーボード、どちらでも地図が動かせる。素晴らしすぎる。
…まで、後手 Google の勝ち。
もう、明日から Yahoo Maps を使うことはなくなりました。とはいえ、株価がかなり下がっているのはなぜだ。買えってことか。うーむ。
さて、とても長い前振りだったが、ここからが本題。
本題は一瞬で終わるが、日本の地図サイトってどうよ、ってこと。21世紀の日本のサイト事情はまったく詳しくないが、Map Fan とか使うに、レベルが違いすぎて比較もできないと落胆してしまう。妹の新居の住所を入れてもどこか分からんのだ。結局、現地で電柱を頼りに探し回るか、妹に電話で行きかたを聞くしかない。
日本のユーザはこれで満足しているんだろうか。これで満足できるのだとしたら、きっと Google Maps とか見ても特になんとも思わないんじゃないだろうか?
おれにとっては、たとえば楽天とかヤフオクとか、いまどきこれかよ、正気かよって思うようなダサさ、使いにくさなのだけれど、あれが日本のユーザには使いやすいみたいだし、amazon とか見ても特に優れていいとか思ったりしないのだろうなあ、なんて考えると、日本のユーザと共有できそうなセンスをほとんど持ち合わせないんじゃないかと不安になる。
なぜ、日本のダサいサイトはアメリカのサイトみたいにカッコよくて使いやすいサイトになっていかないのか。もしくは、日本の人にはカッコよくて使いやすいのに、なぜおれはそれをダサくて使いにくいと感じてしまうのか。
きっと、日本に住んで、嗚呼、とうとう飯田も卒業かあ、なんて言っていないと分からないことなんだろうな、という気がする。
いまどきは、ネットでほとんどの情報は仕入れられる気にはなっているものの、やはり、現地の日々の生活から空気として感じられることはまったく違う。
MSY - 11 February '2005 - 11:41
ひろしま - 11 February '2005 - 19:18
MSY - 12 February '2005 - 01:08
ひろしま - 12 February '2005 - 03:02