25 July '2007 - 23:16 | 雑記 どうやって感謝するか
ネット時代の昨今、一度も会ったことのない友人という存在、つまりネット上の友人という存在は、まったく珍しくないものだと思う。というか、そういう人がひとりもいないという人はネットを使っていないに等しいとさえ言える。って、これは言いすぎかも知れないけれど。
でも、まあ、ネットで知り合って、実際に会うまでにはかなり濃密なやり取りがあって、リアルで初めて会う日も初めて会う気がしない、なんてのはさすがにふつうのことだとは言える。
ぼくにも、まだ一度も会ったことのない友人が何人かいるのだけれど、来週、その一人に会う予定になっている。
彼とはたった三ヶ月前に知り合ったばかりなのだけれど、それ以来、何度もメールをやりとりしてきたので、実際に会えるのが楽しみで仕方ない。
今日、その彼が住むことになる家の賃貸の契約を、ぼくが彼の代わりにしてきた。仕事をいつもよりもだいぶ早く切り上げて家に向かい、10ページほどの契約書を何度もよく読んで分からないところは大家に確認して、そして、何度も何度もサインをしてきた。
彼はまだ日本に住んでいて、来週から住むことになったその家を一度もその目で見ていない。写真をたくさん撮って送ってあげたので、雰囲気はだいぶ伝わっていると思うけれど、それでも実際に見るのと写真ではまったく次元が違う。
今朝、彼が家賃や敷金としてけっこうな金額をぼくに送金してきたことを確認したとき、この金をもって逃げるような人というのも、世の中にはいるんだろうな、とふと思った。そもそもぼくは(気持ち的には)大金持ちなのでそんなことをする動機はまったくないけれど、端金で人を裏切る人もたくさんいるしね。
職場でこの話をしたら、なんでそんなことをするのかと不思議がられた。会ったこともないやつを、たとえそれが日本人だからって信用できるかどうかも分からんだろうし、だいたい、おまえに何の得があるのか、と。
ぼくにとってのメリットか。
まあ、メリットデメリットっていうと不愉快に思う人も多いのだろうけれど、そういうのを偽善的だと感じるぼくにとっては、あまり意識はしてないけれど、彼に親切にしてあげるメリットというものは確実に存在している。はずだ。それは、なんだろうと自問してみる。
もちろん、感謝は当然のようにされるだろうし、その印にビールでも奢らせてあげるつもりだけれど、それは本質的なことではない。
たぶん、答えはこうだ。
要するに、ぼくを頼りにした人に親切にしてあげれば、その人も誰かに頼られたときに、同様に親切にする確率があがるのではないか、とぼくは信じているのではないか。つまり、ぼくが人に親切にしてあげれば、ゆくゆくは世の中の人は全員ぼくと同じ程度には親切になり、ぼくが親切にされる確率があがると思っているのではないか。ないか、って他人事みたいだけれど。
そして、なんでそんな風に信じるかといえば、それはぼくが過去に世話になった人がたくさんいて、彼らへの感謝の印として、ぼくにできることがあったら、ぼくも他の人の世話をしてあげたいと思っているからだと思う。
つまり、結論をいうと、ぼくに世話になったと思う人は、だから、いつか誰かに同じこと(や違うこと)をすることで、ぼくに感謝しるってことだろうね。
思えば、ぼくも、ほんとうにたくさんの人に世話になってきた。言わないけれど、すんごい感謝してます。って、言えよって話か。
なんかちょっと怖いけど。
今年こそは初米、と毎年思ってはいるんですが、思ったより遠い・・距離的に。
なかの - 26 July '2007 - 02:10
ひろしま - 26 July '2007 - 09:23
Alex M - 26 July '2007 - 14:13
まあ、徳も天下の回りものって(ぼくは)言いますし、過去の悪行を帳消しにする為にも、これからも人の為に生きなくては!なんて聖人を気取る理由はまったくないのですけどね
ひろしま - 26 July '2007 - 14:27
まったく同じでちょっと驚いた。こういう基本が似てるから友情も続くんだろうね。性格ぜんぜん違うけど。
よーこ - 27 July '2007 - 17:06
でも、よーこさん、飲めないじゃん。
ひろしま - 27 July '2007 - 17:31