23 October '2007 - 01:19 | 時事 赤福に関してぼくが残念なこと
名古屋人としては、いつでも食べたいときに食べられる赤福ではあったのだけれど、あえて普段は見向きもせず、そのかわり新幹線で出張にでる機会があれば必ず十二個入りの箱をお土産に一つ買いながら、「いや、まてよ、これでは先方に喜ばれてたくさん食べられてしまったらぼくの分がなくなってしまうし、かといってぼくがたくさん食べてしまってはお土産にならないな」などと逡巡して、必ず二箱ほど買い、お土産だと先方に手渡した瞬間に「生ものですから、悪くならないうちに食べてくださいね。なんなら、今から食べましょうか。ええ、今すぐ開けてください」と言って開封を強要し、封が開くや否や六つほど一気食いして、残りをみんなと一緒に頂くという好青年だったそんなぼくが、今回の赤福問題について、本当に残念に思っていることが一つだけある。
それは、なぜ、あと一ヶ月ほど待っていてくれなかったのか、ということだ。
あと一ヶ月ほどで、義母が久しぶりに我が家に遊びにくる予定だった。義母の訪米は、孫の誕生日に遊びにくるとか表向きの理由はいろいろあるが、本来の目的は、ぼくに赤福を届けることだ。
義母が持って来た赤福を口に頬張りながら、「ああ、いまこの瞬間に赤福をアメリカで食べているのは、きっとぼくだけなんだろうなあ。みんな、馬鹿だなあ。死ねばいいのに」と悦に浸る至福のときがまた訪れるのを、今か今かと待っていたのだ。
つまり、ひとことでいうと、こういうことだ。
中国産原料で毒まみれでも、本当の賞味期限はとっくに切れててカビだらけでも、そんなことはどうでもよかった。ただ、おいしい赤福が食べたかった。来月に食えると思っていた赤福だけが楽しみで、今まで頑張って来たところもある。ぼくがおいしく頂いてから、不正発覚で倒産でもなんでも好きにしてくれればよかった。ただ、それだけ。