10ねんまえに つぎの 10ねんは こんな かんじだろうかと そうぞう していた ことと、じっさいに おきたことを ふりかえるに、つぎの 10ねんが ぼくの そうぞうの はんいに ないことは まちがいない。
ぼくに とっては、あたった よそうは べつに おもしろくも なんとも ないので、ぼくの みに おきた、ぼくが そうぞうだに しなかったことを れっきょして 2009ねんを しめくくりたい。
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思い通りの日本語入力ができるという触れ込みの IME が Google Japan からリリースされたので、久しぶりに書かま文で書いてみる。かかまブンナの。いや、かかま文だよ。でた。わ
気がついたら11月は何も書いてないのだけれど、これはこの新しい日本語変換が出たら書かま文で書きたいと思っていたのでそれを待っていたら、12月になってしまっていたということで、これは弊社に謝罪と賠償を要求せねばなるまい。って、あえて長い文章を書いて、一発変換。素晴らしい。
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おもしろそうだったので、とある プロジェクトを てつだうことに してみたら、いっしょに しごとを することに なった どうりょうが チューリヒの ひとだった。
とうぜんの なりゆきとして、スムーズに プロジェクトに さんか するためにも、いちど あって はなしを したいという ことになり、かのじょが Mountain View まで きてくれることになった。と おもいきや、やっぱり いけなくなったので きてくれ、という。えええ。
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むすこが「みんな サブウェイに いったことが あるのに、ぼくは いったことがないので いきたい」と いった。
このへんには サブウェイそのものが ないし、つぎに よめの じっかに かえったときに、なごやほうめんに いって のせてもらえば いいだろう。なんて おもってたら、その サブウェイじゃなくて ファストフードの サブウェイの はなしだった。ああ。。
まあ、かなり やすいし、むかしは ときどき たべたけれど、さいきんは ぜいたくに なってしまって、もう まずい サンドウィッチを おいしく たべられなくなってしまった。なので かれが サブウェイを たべるとしたら、それは、じぶんで おかねを はらうように なってからだろうな。
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けさ、ついつい、むだに twitter で @kenn と かいわを してしまったのだけれど、じつは この いちれんの かいわは、ぼくは とちゅうから ある いとを もって せっきょくてきに たのしんでいた。
それは なにかというと、140もじ という せいげんで、ひらがなと かかまぶんでの ぎろんは どう なるのかな、ということ。あいては かんじを たくさん つかって むずかしい ことを いってる ふりを して みんなを けむに まこうと しているけれど、こくみんの せいかつが だいいちの ぼくは、もちろん twitter でも ひらがなしか つかわないので、かいわが なりたつのだろうか、って おもったのです。ひらがなせいかつと かかまぶんでは 140もじで かくことが できる じょうほうりょうには かなり さが あるからね。
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よく おぼえてないけれど、たしか、せんげつの はつか くらいだったかな。かぞくが しまに あそびに いったのは。かれこれ、いっかげつ いじょうは たってる。
そして、これも よく しらないのだけれど、たしか、かぞくは らいげつの おわり くらいに かえってくる よていに なってたと おもう。あまりに さきの ことなので、なんど きいても わすれてしまうし、どうせ わすれてしまうので いちいち ききも しない。
ただ、なんどか きかされている、という きおくは ある。その ひづけは なんども きいてる はず だけれど、らいげつの おわり、という ふうに しか きおく できていない。ふしぎ。
ていうか、いま きづいたけれど なんで Google Calendar に はいってないんだ。SFO に むかえに いかなくても いいのかよ。
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ことしの 2がつに よてい されていた アナログていは だけれど、いろいろあって えんきされて、6がつ 12にちの よなかに とうとう じっしされた。すべての アナログちじょうはが かんぜんに とまったわけでは ないけれど、フルパワーの ほうそうは ぜんぶ とまった。
ぼくの まえの しごとは デジタルテレビ(もしくは セットトップボックスなど)の ソフトウェアを つくること だったので、いまは ぜんぜん かんけいない しごとを しているとはいえ、ちょっと かんがい ぶかい。
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takusan'no hitoni yondemorau nara somosomo hiragana gakusyuuga huyouni naru RO-MAji hyouki no houga iinodeha naika. RO-MAjiseikatu ni sinai riyuu ha nanika.
ii situmonn dane.wa
jituha bokuha RO-MAji demo zenzen iito omottemasu.wa
20nen kurai maeni RO-MAji sika tukaenai joukyoude GAIJIN ya zaigaihoujin tati to yoku tyatto siteita jikiga arunda keredo, saisyoha turakatta noni koremo naretara zenzen dekite bikkuri sita keikenga arimasu. seisintekina kabe ga nakereba koremo kekkou yoyuu de suguni naremasu.
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せんじつ、いつものように iPhone を MacBook Pro に つないで Podcast を こうしん しようと おもったら、iTunes が iPhone を にんしき してくれなく なっていた。
よくみると、じゅうでんも されてない。げ。
いよいよ まぢかに せまった あたらしい iPhone の はつばいに むけて、この iPhone も おやく ごめんかと おもいきや、老婆の MacBook Pro に さしてみたら、ふつうに にんしきされる。え、ぼくの MacBook Pro が こわれたのかな。
おもむろに しょだい iPhone を さしてみると、なんと にんしき するではないか。どういうことなんだ。
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せんじつの JTPA の カンファレンス でも はなしに のぼったことだけれど、アメリカの はたらきかた と くらべて、にほんの はたらきかたは いじょうに せいしんろんてき で、とにかく むりにでも どりょくで かいけつ しようと する けいこうがあり、それでいて きゅうよも すくなくて やってられない、という いけんが ある。ぼくも そう おもう。
にほんの おおてメーカ きんむで ばしゃうまの ように はたらいて さくしゅされている エンジニアたちは、おなじ レベルの しごとを ふつうに ていじで やって、それでいて ばいほどの きゅうりょうを もらっている こっちの エンジニアの げんじつを しったほうが いい。
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ひらがな だけの ぶんしょうは、よみにくすぎて たまらない。さいきん、よく いわれる。
ひらがなせいかつ を はじめてから だいぶ たっていて かなり めが なれたし、しんりてきな ていこうも まったく なくなった ぼく
ですら、よみやすさの ひかくをすれば、あっとうてきに かなかんじまじりぶん (いか、よくつかうのに ながくて よみにくいので、かかまぶん と よぶことにします。わわ) の ほうが よみやすいと かんじるのだから、さいしょから うけいれる
きが まったくない ひとたちが、そう いいたくなる きもちは 120% りかいできる。
すこし あたまの おかしい ぼくだけが こういう はためいわくな ことを かってに やるのなら まだしも、なにか しんえんな いとがあるに ちがいないと
かんちがいした おひとよしたちが こんなくだらないことを まねしはじめては たまらないと、ないしん やきもきしている ひとも いるかも
しれない。
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さき の 「ひらがなせいかつ への いざない」 に たいする しゅんぺーさん の コメント で、
あなたの文章は非常に簡潔に平易に書かれておりますので、ひらがなで読むことはさほど難しくありません
と かかれている ことは とても うれしい。
ぼく が ここ に かいている ぶんしょう は、すべて ぼく が かんがえている ていど の ないよう なので、そもそも むずかしい こと ではないし、その いけん を せいかく に つたえる ためには、とくに むずかしい たんご を ひつよう と してない というのは じじつ なの だけれど、それでも、ぼくは ちゅうい して たんご を えらんで かいている。
つまり、なんどか よみなおして、なるべく かんたん な ぶん に なるよう に かき なおしている。どうおんいぎご が まぎれて いない か ちゅうい しているし、かんじ を みないと ぼくじしん よく いみ が わからない たんご は すべて かき なおしている。まあ、スイコウ くらい は かいても いい けれど、あえて かかないように している。
つまり、みなれていない から すごく よみにくい という のは たしかに そう だけれど(わ)、がんばって よんでみても よく わからない、というような ことには ならないよう、けっこう きを つけています。
じつは「ひらがなせいかつ」には、ぶんしょう を もっと たんじゅん に かくべき ではないか、という いと も あります。
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にほん が たちなおれる か どうか は ぼくには よく わからない。
わたなべちか の れい の エントリ を よんで、「でも、アメリカ だって、アメリカ だって、アメリカ だって、アメリカ だって」みたいな はんのう を している ようちな ひとたち に いいたい こと も とくに ない。
でも、にほん は とても すみにくい しゃかい だと ぼく は おもっていたし、いま も おもっている ので、そう おもう ひとたち や かんじている ひとたち は、せっきょくてき に ガイコク に にげてみる こと を すすめたい。
うんよく にほん で うまれた のだから、てんしょく する くらいの きがるさ で、きがる に ガイコク ぐらし を してみる と いい と
おもう。ただ の ひっこし よりかは しきい が たかい かも しれない けれど、いちど やってみたら、そのくらい の しきい しか ない
ことが わかる。いなか から とかい に ひっこした ひと なら わかる と おもうけれど、おなじ くらい の はなし だと おもう。
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ひとつまえ の エントリ では、なにゆえ ひらがなせいかつ を すすめているのか わからない、と なんにん かの ゆうじん や ちじん から いわれた けれど、かいてない ので それは とうぜん。ながくなる から、また あとで かく、と かいた。かいたけど、なかなか かけず に ごめんなさい。
じつは、ぼくの なかでも けつろん が かんぜん に でている という わけでは ないし、また、すぐに でる とも おもえない ので、いまも、なぜ そんな ことを するのかと、じもんじとう しつづけて いたりします、はい。わ。
かんじ を すてる ことの へいがい は、ぼくでも いろいろ と おもいつくし、かんじ を すてる ことは まちがっている と ちょっかん する ひと や、せきずいはんしゃ てきに はんろん する ひとは、その あたり は とくに いろいろ と おもいつく のだろう。まあ、ぼくが おもいつく レベル の もんだいてん は、あとで はんろん を かいて いこう と おもうけれど、そうてい される はんたい いけん への はんろん の まえに、まず、ひらがなせいかつ の ぼくなりの motive を すこし ずつ かいて いきます。
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いちぶの ゆうじんたちは よくしっていると おもうけれど、ここのところ、ぼくは かんじを いっさい つかわずに せいかつする という じっけんを してみている。
で、やってみたら、おもっていた よりも やれそうな きが してきて だいぶ じしんが ついたので、とうとう ここに せんげん することに します。
「ひらがなせいかつ」を すいしんする (もしくは うざいことするなあ、しねばいいのに、なんてことを いちいち おもわないと きがすまない ひとたちの きもちを さかなで することなど、そもそも いっさい いに かいさずに、ほろびゆく ちほう げんごである にほんごの、せんねんごを ほんきで うれう、もしくは うれう ふりをする) ぷろぐらむに さんか しませんか。
かけも よめも しない かんじ なんて、がくしゃに まかせて、こどもたちでも かんたんに よめる ひらがなで、もっと わかりやすく かくように しませんか。
この うんどうに さんかしたい ひとは、どうぞ かってに さんか してください。ばかだと おもうひとは、ばとうするなり むしするなり、おすきに どうぞ。
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大きな会社では、その内側で起こっていることのすべてを一介のエンジニアが把握することは不可能に近い。そういう規模の会社では、インサイダーであるのに外部の人から知らされる会社情報というものも案外おおかったりする。とくに、自分があまり注意を払っていないゴシップ系の情報になると、その傾向は顕著になる。
たとえば「グーグル、本社キャンパスの無料カフェテリアを閉鎖」 という記事に書かれている内容も、友人に教えてもらうまで知らなかったし、読んでみて驚いた。きっと、知らない同僚もたくさんいると思う。
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老婆に教えてもらって知ったのだけれど、ピーナッツバターにサルモネラ菌が入っていて何人も死んじゃって関連製品が軒並みリコールされるという、全米の一部を震撼させる事態が発生している。
本当に美味しいピーナッツバターというものがない極東の国の人々には想像もつかないことだろうが、PB&J という素晴らしく美味しいジャンクフードを子どものランチにもたせられなくなってどうしてくれるんだと全米のマミーが激怒しているし、セロリにピーナッツバターをつけて食べるのが好きなぼくにとっても、これはかなりの痛手だ。
この事件、じつは単なる事故ではなくて、工場の検査で過去にサルモネラが十回以上も見つかってるのに、そしらぬ顔で出荷していたことが発覚していて、ぼくは「どこの日本の話か」と思ったが、どうやらアメリカ人たちは「どこの中国の話か」と思っているらしい。まあ、アメリカでは、日本の偽装ブームの話はほとんど知られていないだろうから、当然か。
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以前は、どちらかというと外で食事をすると言うのは好きではなかった。外でというのは、カフェなどの軒先でという意味であって、外食ということではなく。
風のまったくない快晴の気持ちいい日はともかく、ちょっと風があったり、肌寒かったりしたら、外で食べたい理由はまったく分からなかった。というか、いまでも分からない。
でも、アメリカ人は外で食べることが好きなようだ。外で食べている人は多いし、友人と飯に行くと、積極的に外で食べようとするので、外で食べることにとても慣れた。
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27 January '2009 - 19:26 | 雑記 今年の抱負
最近は、月に一回のペースすらも守れてないとお叱りを受けたからというわけではなく、いろいろと忙しくて書いてなかったことを書いておく。というか、月に一回の約束なんてしないし。
というわけで、今年の抱負。一月も終わろうとしているのに。
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岡田さんが「ケータイの小中学校への持ち込みを禁止すべきだと思う」と書いている。ネットを介した便利でシンプルなコミュニケーション手段が、リアルなコミュニケーション能力の発達を阻害するという危惧からだ。
ぼくはそうは思わない。学校への持ち込みを禁止するべきではないと思うし、感情表現の種類が絵文字の数に依存するということもないと思う。
たしかに、電信のせいで手紙が減っただろうし、
電話のせいで電信も減っただろう。とても嘆かわしいことだと思う。大河ドラマを見ていると、友人には毛筆でしたためた文を届けるべきだと、いつも深く反省する。
電子メールのようなデジタルな手段では、美しい満月をぼんやりと眺めながら遠い日本の友人に想いを馳せるぼくの心のひだなど決して伝わることはない。伝わ
ろうはずもない。相手のディスプレイには、どんなフォントで表示されているかすら分からない。もしも友人がウィンドウズなどでメールを読んでいたら、ほん
とうにひどいフォントで表示されているに違いないのだ。心を込めて文字をしたためるぼくが、そんな汚い字で心を綴っているはずがないのに。
それまでになかった新しい手段によって変貌を遂げるコミュニケーションというものも確かにあると思うけれど、人の心はやはりとても瑞々しいものだから、だいじょうぶだと思う。いつの時代に生まれても、子どもは子どもらしいだろうと思うし、恋は恋焦がれるものだと思う。コミュニケーションの形こそ変わっても、人が心をもっている限り、大人が子どもたちに愛情を注ぐことができる限り、問題ないと思う。
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この前にぼんやりと考えたこと